坂本竜馬の生涯

 土佐藩の身分の低い武士の家に生まれた坂本竜馬は小さいときは気が弱く、よくいじめられて泣いていたようです。18歳のときに江戸に剣術修行にでました。北辰一刀流の桶町千葉道場の門人となります。道場主の千葉定吉は北辰一刀流創始者の千葉周作の弟で「小千葉」と呼ばれていた達人でした。

 

 

 そのころちょうどペリーが来航します。竜馬は土佐にいる父親にあてた手紙の中で「外国人が各地にやってきており、戦争が近いように思います。戦争になったら自分は外国人の首を討ち取って土佐に帰ります」と書いており、攘夷の考えを持っていたことがわかります。

 

 

 同年の終わりには軍学者の佐久間象山に弟子入りしていますが、これは短期間におわりました。その後、北辰一刀流の目録(一説には免許皆伝)を受けます。かなりの達人であったことは間違いないようです。

 

 

また、このころ土佐の武市半平太と出会っています。1861年には朝廷を助けて幕府を討つことを目的として土佐勤王党ができ、竜馬もそれに参加しています。1862年には土佐藩を脱藩して自由の身になりました。

 

 

 

 そして1863年3月に竜馬が姉の乙女に書いた手紙には「今は日本第一の人物である勝海舟の弟子になり、毎日、国のため天下のためにつくしている」と書かれています。

 

 

 1866年ごろには坂本竜馬を捕縛しようとした捕り方との争いで負傷をしました。その傷の療治にお龍という女性を連れて行きました。これが日本で初の新婚旅行であるとされています。

 

 

 1867年4月、竜馬は貿易会社である海援隊を作ります。海援隊の規約には「入隊する資格があるものは土佐藩を脱藩したもの、他藩を脱藩したもの、海外への志があるもの」と記されていました。つまり藩という小さな枠ではなく広い視野で海外と貿易することを希望する隊員を募集したのです。10月には新政府の幹部を西郷に提案したときに、その名簿に竜馬の名前がなかったことを西郷隆盛が疑問を持ち、理由を聞きましたが「役人にはなりたくない、世界を相手に商売をしたい」と答えたようです。

 

 

 しかしこの翌月、竜馬は京都河原町の近江屋で暗殺されました。このときの竜馬は京都見廻組、新撰組、薩摩藩など色々なところから身柄を狙われていました。そのため、暗殺したのも、薩摩藩の中村半次郎(後の桐野利秋)、見廻組の今井信郎、新撰組の原田左之助、元新撰組の伊東甲子太郎など様々な説があります。

 

 

 いずれにせよ同席していた中岡慎太郎も共に斬られていることから、かなりの剣の達人の仕業であると考えられています。

 

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