江戸幕府の終わり

1866年12日5日徳川慶喜が15代将軍に就任しましたが、そのわずか20日後には孝明天皇が35歳の若さで急死し、明治天皇が16歳であとを継ぎました。

 

 

 公武合体を支持し幕府との協力を主張していた孝明天皇が突然亡くなったことで幕府の力はさらに衰えました。慶喜は参勤交代制度の見直しや幕府の軍隊に西洋式の装備と訓練を施したりするなどの改革に取り組みますが、すでに幕府には諸藩をまとめる力はありませんでした。

 

 

 このため、幕府を武力で倒して天皇中心の国家を作ろうとする「討幕」の動きが広まり、1867年6月には土佐藩の板垣退助、中岡慎太郎と薩摩の西郷隆盛らが京都で密約を結びました。

 

 

 

 いっぽう、こうした動きに反して幕府などの公武合体派は朝廷に政治の実権を返して幕府を廃止した上で徳川家を含む有力大名が集まって会議をしながら政治をすすめるという公儀政体論を主張します。徳川家が会議の議長になることで政治への影響力を保とうとしたのです。幕府が朝廷に政治の実権を返すことを大政奉還といいます。

 

 

 この7月には不思議なことが起こります。三河国牟呂村で空から伊勢神宮のお札がふってきたというのです。空からお札が降る現象はその後、東海道の東西に広がり11月には江戸でもお札が降ります。西は中国・四国地方にまで及びました。お札がふった地域では人々が集団で仮装して「ええじゃないか、ええじゃないか」と歌い踊る現象が起こりました。

 

 

 

 この事件の真相はいまだに解明されていませんが、世の中を良くしたい、変えたいという庶民の不満が爆発したものだと言われています。

 

 

 1867年10月、公儀政体論を主張する前土佐藩主の山内豊信は討幕派の先手を打つため15代将軍慶喜に大政奉還をすすめました。

 

 

 大政奉還を考え、進言したのは土佐藩の牢人である坂本竜馬であったといわれています。しかしその後、土佐藩や幕府の大政奉還の動きに対して、討幕派の公家である岩倉具視と薩摩藩の大久保利通らは朝廷に働きかけ、10月薩摩と長州に対して、天皇から討幕の命令が下ったのです。

 

 

 

 天皇が討幕の命令を下したことを知った徳川慶喜は京都の二条城に京都に滞在している40藩の代表を集めました。議題は前土佐藩主の山内豊信が提出した「大政奉還の建白書」を採用するかどうかでした。

 

 

 建白書の内容は「将軍はみずから政治の実権を天皇に返し諸大名による会議をつくり、徳川家がその議長になるというものでした。」慶喜は幕府を続ける限界を感じ、江戸幕府を終わらせる覚悟であったようです。

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