世界を知る男、ジョン万次郎

幕末期の漂流民、中浜万次郎(ジョン万次郎)は、土佐国幡多郡中の浜の漁師の家の次男にうまれました。

 

 

 1841年、仲間4人と共に近海のカツオ漁に出ましたが、暴風雨にあい太平洋を漂流します。そして伊豆諸島の無人島に漂着し、その半年後アメリカの捕鯨船ジョン・ハウランド号に救われました。

 

 

 船長のホイットフィールドは万次郎の才能を見込み、万次郎の仲間4人をハワイに残し、万次郎ひとりを連れてアメリカの東海岸に上陸しました。そのときに初めて世界地図を見た万次郎は海の広さと日本の小ささに驚いたといわれています。また、船名と元の名前にちなんでジョン・マンと呼ばれるようになりました。

 

 

 

 ホチットフィールドは万次郎をかわいがり学校に通わせます。万次郎は期待に応えて懸命に勉強し、優秀な成績で卒業しました。卒業後は捕鯨船の水夫や鉱夫として働いて金を蓄え、数学・航海術・測量術・造船術などを学びました。

 

 

 その後、万次郎はハワイに戻り1850年末に日本にむかいます。しかし、琉球本島に上陸したところでつかまり鹿児島と長崎で取り調べを受けました。鹿児島では島津斉彬から直接尋問を受け、そこで聞き取ったことを元に藩士や船大工らに造船術や航海術を教授させたといいます。

 

 

 1852年に土佐藩に引き渡され、故郷の中の浜に戻ります。12年ぶりの帰還でした。土佐藩は彼に中浜の姓を与え、藩校の教師として採用しました。このころ坂本竜馬の訪問を受け、竜馬に感銘を与えたといわれています。また、後藤象二郎や岩崎弥太郎に指導しました。

 

 

 

 1853年にペリー艦隊が来航すると幕府は万次郎の能力を活用するために旗本として招きます。韮山代官の江川英龍の部下となり、日米和親条約の締結の時には様々な助言や手助けを行いました。

 

 

 1857年に江戸に軍艦操練所ができると、その教授方になり、1859年には英会話書を記し、航海術の本の翻訳もしました。このころに大鳥圭介らに英語を指導するだけではなく、執筆や講演、船の買い付けなど仕事は多岐に渡ったとされます。

 

 

 1860年には太平洋を横断する咸臨丸に通訳として乗り込み、再びアメリカを訪れます。このときは船長の勝海舟が船酔いのため、まったく指揮が取れなかったため万次郎が船の指揮を取り、秩序を守ったようです。

 

 

 

 その後は薩摩藩や土佐藩で英語を教えるなどしたあと、1869年には明治新政府の開成学校の教授となりました。政治家への誘いもあったようですが、万次郎は教育者としての道を進みました。

関連ページ

関が原の戦いと幕府開設 
方広寺鐘銘事件と大阪の陣
幕府のしくみと徳川家光の政治
江戸幕府の役職と支配 大老・老中・若年寄・奉行とは
江戸時代の身分制度 士農工商
江戸時代の農民の自治とゆるやかな身分制
江戸時代の中国と朝鮮と朱印船貿易
江戸時代 日本町と鎖国への道
江戸時代のキリスト教の弾圧
島原・天草一揆
南蛮船来航禁止と鎖国と対馬
鎖国中の長崎の窓口
江戸時代、鎖国中の薩摩の窓口
鎖国中の松前の窓口
江戸時代の交通と流通の発達
江戸時代の農業の発達
江戸時代の政治-武断政治から文治政治へ-.
江戸時代の幕府の浪人(牢人)対策
江戸時代将軍綱吉と生類憐みの令
新井白石の正徳の治
8代将軍吉宗誕生
享保の改革
享保の改革 目的・内容・成果
9代将軍徳川家重の時代
老中・田沼意次による田沼政治と重商主義
松平定信と寛政の改革
江戸時代の藩政改革とすぐれた藩主(名君)
大塩平八郎の乱
水野忠邦と天保の改革
江戸時代の学問の発達
江戸時代の出版、川柳、狂歌
江戸時代の化政文化とは
江戸時代の文化-浮世絵などの絵画
江戸時代の医学 蘭学の発展
国学の展開と江戸の教育
江戸時代のロシアの南下
欧米の進出とアヘン戦争
江戸幕末の幕府内部の対立
日米修好通商条約の影響と尊皇攘夷思想
安政の大獄と桜田門外の変
生麦事件と尊王攘夷
新撰組と尊皇攘夷志士
討幕派の形成と民衆運動
江戸幕府の終わり
坂本竜馬の生涯
大政奉還と王政復古
江戸城開城