討幕派の形成と民衆運動

 長州藩では1865年1月、高杉晋作ら改革派が保守派に対抗して下関を占領します。藩主の毛利敬親は改革派の意見を受け入れ、これ以後長州藩の政策は攘夷から開国へと大きく変わり、幕府に反抗の姿勢を見せるようになります。

 

 

 これに対して幕府は再び長州を攻撃することを決め、将軍家茂が江戸をたち、大阪城で直接指揮を取りました。

 

 

 家茂は朝廷から長州攻撃の許可を得ると彦根藩以下31藩に出兵を命じます。こうして第二次長州戦争が始まりました。このとき薩摩藩では薩英戦争で大敗した経験から日本の力では攘夷は不可能であり、開国して西洋の技術を学び取ることが重要だという意見が強まりました。そして藩の政策を攘夷から開国へと変え、イギリスとの関係を深めました。

 

 

 

 1866年、土佐藩の坂本竜馬と中岡慎太郎が仲立ちして薩摩と長州はひそかに薩長同盟を結びます。これは幕府にかわって天皇を中心とする国づくりを目指すものです。

 

 

 長州では高杉晋作が中国の上海を訪れた経験がありました。アジアの大国である清が西洋諸国に半ば植民地化されていることに驚き、武士の他に農民や町人も加わった西洋式の軍隊の奇兵隊を組織します。中には神主や相撲取り、商人なども居たと言われています。第二次長州戦争では、この奇兵隊を率いて大活躍しました。

 

 

 戦争は長引きましたが将軍家茂が大阪城で病死すると朝廷から停戦命令がくだり、幕府軍は撤退しました。諸藩を率いた幕府軍が一つの藩を降すことができなかったこの戦争は幕府の権威を大きく落とす結果になりました。

 

 

 

 幕府の政治が動揺するなか、社会も大きく混乱します。まず1854年から翌年にかけて安政大地震が起こります。2日続いてマグニチュード8を超える巨大な地震と7mもの大津波が太平洋沿岸を襲いました。崩壊家屋10万個、死者は3000人以上といわれています。翌年の地震では死傷者は1万人に及んだと推定されています。

 

 

 1858年には長崎に寄港した外国船から広がったコレラが江戸・京都・大阪をはじめ、全国で大流行します。まだ原因が知られていなかったコレラは、かかるとあっという間に死んでしまうという意味で「コロリ」と呼ばれて恐れられました。

 

 

 1864年の蛤御門の変では戦火が京都市内に燃え広がり大火となりました。こうした災害に経済の混乱が追い討ちをかけ、豪商を襲って店や住居を破壊する「打ちこわし」がおこります。打ちこわしに参加した民衆は、拡大した貧富の差を解消する「世直し」を主張していくようになります。

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