新撰組と尊皇攘夷志士

863年公家の中山忠光を首領とする尊皇攘夷派が大和国の代官所を襲いました。天誅組の乱です。翌年3月には水戸藩の尊皇攘夷派が筑波山で挙兵する天狗党の乱が起こります。

 

 

 しかし公武合体派も巻き返しを図ります。薩摩藩と会津藩は京都御所の警備を固めると公武合体派の公家を参内させ、過激な攘夷は天皇の意思ではないと発表したのです。長州藩は京都御所の警備役をとかれ、京都を追われました。また三条実美ら公家7名も長州に逃れ官位を取り上げられ処分されました。

 

 

 

 その後、一橋慶喜が京都周辺の防衛を指揮する役職につき、松平容保が京都守護職に、容保の弟で桑名藩主の松平定敬が京都所司代につき朝廷との連携を強めました。

 

 

 このころ、尊王攘夷派の取り締まりと京都の治安維持を担っていたのが新撰組です。局長の近藤勇をはじめ、元々武士ではなかったものも多く在籍していました。

 

 

 

 幕末には町人や農民のあいだで剣術を学ぶことが大流行しました。彼らは町道場に通いましたが、このころの町道場は政治について議論する場所でもありました。土佐藩の坂本竜馬や長州藩の桂小五郎など「志士」と呼ばれる政治活動家のなかにも町道場出身者が多く居ます。

 

 

 1864年6月、尊皇攘夷派は京都で勢力を取り戻すため、公武合体派の皇族朝彦親王や松平容保を襲う計画をたてます。これを知った会津藩配下の新撰組は一橋家のほか、会津、桑名、彦根、淀の諸藩や京都奉行所と協力して京都市中を一斉に捜索しました。

 

 

 

 捜索の結果、長州・熊本・土佐などの各藩の志士たち約30人が旅館池田屋にあつまっていることが発覚します。新撰組はこれを襲撃し、多数を殺傷・捕縛しました。これが池田屋事件です。

 

 

 これに対して長州藩は7月、家老らが兵を率いて上京し、会津藩や薩摩藩の兵と京都御所の蛤御門付近で戦いました。これを蛤御門の変、または禁門の変といいます。このとき長州藩が御所に向けて発砲したため朝廷は幕府に対して長州藩追討の命令をくだします。将軍家茂は長州藩への攻撃を諸藩に命じ、35藩15万の軍隊が広島に集まりました。

 

 

 

 しかし、前年に下関で長州藩が行った外国船に対する砲撃への報復としてイギリス、フランス、アメリカ、オランダ4カ国艦隊の17隻5000人の兵隊が下関を攻撃し沿岸の砲台を占領しました。これが下関戦争です。旧式の武器しか持たない長州藩は大敗し、降伏しました。結局幕府は一度も戦うことなく兵を引き上げました。これが第一次長州戦争です。

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