日米修好通商条約の影響と尊皇攘夷思想

 日米修好通商条約で開いた港のうち、神奈川は東海道の重要な宿場で参勤交代の大名も多く利用していました。このため幕府は外国人とのあいだで問題が起きることを恐れ、実際にはこのころ人口わずか350人の小さな村だった横浜を開港することにしました。

 

 

 横浜は江戸にも近く交通の便が良かったことから急速に発展します。横浜を含む開港地には外国人が住む町ができ、教会や洋館がたちました。日本人が経営するパン屋や洋服屋もでき、新たな名所として多くの見物人が訪れるようになったのです。

 

 

 しかし日米修好通商条約は日本にとって不利な内容を含むものでした。アメリカ人が日本で犯罪を起こしたときに日本の法律で裁くことができません。これを「治外法権」といいます。

 

 

 

 また輸入品に対して日本が独自に税金をかける「関税自主権」も認められなかったため貿易によって日本が利益をあげることが難しかったこともあります。

 

 

 そして貿易がはじまると日本の経済は混乱しました。生糸や農産物が外国へ大量に輸出されるようになり国内で品物が不足するようになりました。逆に外国から機械で大量生産された値段の安い綿織物が大量に輸入され、国内の繊維産業は打撃を受けました。また銀が大量に輸出されたため幕府は銀の割合を減らして貨幣の質を落とし、それが物価の混乱を起こしました。

 

 

 こうした混乱に朝廷を無視して条約を結んだ大老井伊直弼への批判も重なって幕府への不満が高まります。天皇や朝廷を敬う尊王論は江戸時代初期からありましたが、ここでさらに大きくふくらんだのです。これとともに軍事力を背景に開国をせまる西洋諸国への反発から西洋人や西洋文明を日本から追い払おうという攘夷論が結びつき、尊皇攘夷思想が形成されていきました。

 

 

 

 1858年6月24日、水戸藩主徳川斉昭らは一橋慶喜とともに、井伊が条約を結んだことを抗議しました。これに対して井伊は翌日、紀伊藩主の徳川慶福を次の将軍にすることを決め、斉昭らは謹慎処分にしました。

 

 

 反対派を退けた井伊のもと、幕府はオランダ、ロシア、イギリス、フランスと次々に通商条約を結びます。最初のアメリカとあわせてこれらは「安政の5カ国条約」と呼ばれました。これらの条約に基づいて、1859年江戸には各国の公使館がおかれます。アメリカは善福寺にハリスが、イギリスは東禅寺にオールコックが、フランスは済海寺にベルクールがそれぞれ総領事として着任しました。

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