江戸幕末の幕府内部の対立

幕末、病弱な13代将軍徳川家定の跡継ぎをめぐって二つの勢力が対立していました。

 

 

その一つ紀州派は、彦根藩主井伊直弼ら譜代大名を中心に家定の血縁にあたる紀州藩主徳川慶福を14代将軍に推す勢力でした。

 

 

 もう一つの一橋派は水戸藩主徳川斉昭、福井藩主松平慶永、薩摩藩主島津斉彬など徳川一族の大名や外様大名を中心に御三卿の一つ一橋家の慶喜を推す勢力でした。秀才だと評価の高い慶喜はは徳川斉昭の子で、このとき一橋家の養子になっていました。

 

 

 

 1856年、13代将軍家定と薩摩藩主島津斉彬の娘篤姫の婚礼が行われました。このとき篤姫は次の将軍に慶喜を推薦して家定を説得するように命じられました。あきらかに政略結婚であったのです。しかし篤姫が暮らす江戸城大奥ではぜいたくな暮らしを続ける大奥の女性たちの引き締めをはかる主張をしていた徳川斉昭を嫌い、紀州派が優勢でした。篤姫自身も徳川慶福を気にいって、夫の家定とともに紀州派支持にまわりました。

 

 

 その後、一橋派の老中阿部正弘が亡くなり、紀州派の中心人物であった彦根藩主の井伊直弼が大老となると徳川慶福が次の将軍に決定しました。まもなく家定は病死し、12歳だった慶福が家茂と改名して14代将軍となります。

 

 

 先に結んだ日米和親条約には貿易に関する内容は含まれていませんでした。日本との貿易をのぞむアメリカは1856年、総領事官としてタウンゼント・ハリスを下田に送り込みます。はじめは拒んでいた幕府も結局はハリスの着任を認め、下田の玉泉寺にアメリカ領事館がおかれました。

 

 

 

 

 ハリスは着任すると江戸に行って将軍に着任のあいさつをすることを認めるよう要求します。幕府はこれも拒みますが、1857年ハリスはついに江戸城に登城して13代将軍家定に謁見して通商条約を結ぶよう幕府にせまりました。

 

 

 アメリカ海軍の強力な武力を背景にしたハリスの要求に対し、1858年幕府は日米修好通商条約を結ぶ許可を朝廷に願い出ました。しかし外国人の日本進出を嫌った孝明天皇はこれを許可しませんでした。幕府の立場はますます苦しくなります。

 

 

 大老井伊直弼は天皇の許可が出ないまま6月19日相模国神奈川沖に停泊するペリー艦隊の旗艦ポーハタン号に役人を送り、アメリカと日米修好通商条約を結びました。この条約により、函館、神奈川、長崎、新潟、兵庫の5つの港を開き、アメリカとの貿易が始まりました。日米和親条約のときに開かれた下田はこのときに閉鎖されました。

 

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