欧米の進出とアヘン戦争

ロシアとの緊張が続いていた1808年、イギリスの軍艦フェートン号が敵対するオランダ船を捕まえようと長崎港に侵入するという事件が起こりました。港にオランダ船がいなかったためオランダ商館員を人質にとり、人質と水や食料を交換してフェートン号は去っていきました。幕府はこれをどうすることもできず、防衛体制の弱さがはっきりとしました。 

 

 

 1824年には常陸国の大津浜に異国船が現れ、12人が上陸するという事件が起きます。水戸藩は12人を逮捕しますが調べた結果、イギリスの捕鯨船員で薪や水を補給するために上陸したことがわかり、船員は釈放されました。

 

 

 このとき通訳をつとめた水戸藩の儒学者の会沢正志斎は日本が外国に侵略されるのではないかと危機感を持ち、「新論」という本を著しました。この本は長州藩士で思想家の吉田松陰をはじめ、尊皇攘夷派志士のあいだで広く読まれることになります。

 

 

 

 こうした中、1825年幕府は異国船打払令を出し、日本沿岸に接近する外国船を追い払うよう命じます。

 

 

 しかしこの結果1837年、日本人の漂流者を連れて、通商を求めて江戸湾の浦賀に来航したアメリカ商船のモリソン号を奉行所が攻撃するという事件が起きました。これがモリソン号事件です。モリソン号は鹿児島湾に入港しようとしますが、ここでも薩摩藩の砲撃をうけます。

 

 

 1838年、三河国田原藩の渡辺崋山と蘭学者の高野長英がモリソン号を撃退したことはあまりにも無謀だったと幕府の対応を批判します。これに対して幕府は二人を厳しく処罰しました。このころ洋楽を学ぶ組織を「蛮社」と呼んだことから、この事件を蛮社の獄といいます。

 

 

 

 1840年、イギリスと清の間で戦争が起きました。この戦争はイギリスが清に大量のアヘンを密輸したことに始まります。アヘンは中毒性が高い麻薬であったため、清はこれを取り締まりますが、利益のために密輸を続けたいイギリスとの間に戦争になったのです。これをアヘン戦争といいます。この戦争では清が敗れ、上海など5港を開港させられました。

 

 

 この情報を得て1842年幕府は異国船打払令を取り下げ、外国船に食料や水を与えて退去させるようにします。一方、1841年輸入した大砲の実弾射撃と歩兵の演習を行い、西洋砲術による軍備をすすめました。

 

 

 この時期、日本に開国をもとめる諸外国の動きはますます激しくなります。1844年には開国をすすめるオランダ国王の手紙が長崎に届きましたが、幕府は受け取りを拒否し鎖国を続けました。

関連ページ

関が原の戦いと幕府開設 
方広寺鐘銘事件と大阪の陣
幕府のしくみと徳川家光の政治
江戸幕府の役職と支配 大老・老中・若年寄・奉行とは
江戸時代の身分制度 士農工商
江戸時代の農民の自治とゆるやかな身分制
江戸時代の中国と朝鮮と朱印船貿易
江戸時代 日本町と鎖国への道
江戸時代のキリスト教の弾圧
島原・天草一揆
南蛮船来航禁止と鎖国と対馬
鎖国中の長崎の窓口
江戸時代、鎖国中の薩摩の窓口
鎖国中の松前の窓口
江戸時代の交通と流通の発達
江戸時代の農業の発達
江戸時代の政治-武断政治から文治政治へ-.
江戸時代の幕府の浪人(牢人)対策
江戸時代将軍綱吉と生類憐みの令
新井白石の正徳の治
8代将軍吉宗誕生
享保の改革
享保の改革 目的・内容・成果
9代将軍徳川家重の時代
老中・田沼意次による田沼政治と重商主義
松平定信と寛政の改革
江戸時代の藩政改革とすぐれた藩主(名君)
大塩平八郎の乱
水野忠邦と天保の改革
江戸時代の学問の発達
江戸時代の出版、川柳、狂歌
江戸時代の化政文化とは
江戸時代の文化-浮世絵などの絵画
江戸時代の医学 蘭学の発展
国学の展開と江戸の教育
江戸時代のロシアの南下
江戸幕末の幕府内部の対立
日米修好通商条約の影響と尊皇攘夷思想
安政の大獄と桜田門外の変
生麦事件と尊王攘夷
新撰組と尊皇攘夷志士
討幕派の形成と民衆運動
世界を知る男、ジョン万次郎
江戸幕府の終わり
坂本竜馬の生涯
大政奉還と王政復古
江戸城開城