江戸時代のロシアの南下

シベリアに進出していたロシアは18世紀初めにカムチャッカから千島列島に南下してきました。1741年、アリューシャン列島の最西端に位置するベーリング島でラッコを発見します。ラッコの毛皮は柔らかな肌触りで保温力にも優れていたため高価だったのです。

 

 

 やがて日本への航路を発見したロシアは18世紀末には食料や物資を確保するため、日本との通商を何度も要求するようになっていきます。

 

 

 ロシアの動きと蝦夷地の状況に目を向けるきっかけになったのが1783年に仙台藩医の工藤平助が書いた「赤蝦夷風説考」です。老中の田沼意次は工藤の意見を聞き入れて探検家の最上徳内らに蝦夷地を調べさせました。そしてロシアとの交易を考えましたが、田沼は失脚しこの構想は実現しませんでした。

 

 

 

 また仙台藩につかえた思想家の林子平は1785年に「三国通覧図説」を記し、1787年には「海国兵談」を書いて、日本の領土を脅かすロシアへの注意をよびかけ海を越えてやってくる敵に備える海防の重要さを説きました。しかし、老中の松平定信は人の心を惑わしたとして禁固刑にしました。

 

 

 1792年にロシア使節ラクスマンが伊勢の船頭で漂流民の大黒屋光太夫らを送り届けるという名目で根室に来航し、通商を結ぶことを要求しました。しかし幕府は交渉は長崎でするとして通商の要求を退け、漂流民とひきかえに長崎の入港許可証を渡しました。

 

 

 ラクスマンの来航をきっかけに定信はみずから相模や伊豆の海岸の警備の様子を確かめて守りをかためるよう指示します。また蝦夷地の海防を強め、幕臣で探検家の近藤重蔵や最上徳内らに択捉島を探検させ、1799年には東蝦夷地を幕府の直轄領としました。

 

 

 

 1804年にはラクスマンにあたえた許可証を持ってロシア使節レザノフが長崎に来航します。今度も幕府は通商を拒み、レザノフを追い返しました。幕府の態度に立腹したレザノフは樺太・択捉島などを襲いました。ロシア側の報復に驚いた幕府は1807年、蝦夷地すべてを直轄地とし、松前奉行を置いてロシア船を追い払うよう命じます。そして常陸国出身の探検家の間宮林蔵に樺太の探検を命じました。

 

 

 1811年、さらに両国の緊張は高まります。ロシア軍艦の艦長ゴロウニンが国後島を測量中に松前奉行所の役人に捕らえられたのです。これに対してロシア側も翌年、淡路出身の回船業者の高田屋嘉兵衛を捕虜にします。

 

 

 しかし1813年に嘉兵衛は日本に送り返され、その後ゴロウニンもロシアに返還されたため事件は解決しました。

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