江戸時代記事一覧

1598年に豊臣秀吉がなくなると豊臣政権の内部では奉行としておもに行政を担当していた石田三成や小西行長などの文吏派と、お...

 家康は豊臣が完全に滅ぶまでは安心できないと考え、ついに動き出します。1596年に豊臣秀吉が建てた方広寺が地震で倒れると...

一国一城令 豊臣家を滅ぼした家康は最後の仕事にとりかかりました。まず一国一城令を出して、大名たちに「大名が住む以外の城を...

 江戸幕府の最高権力者は将軍です。しかし、将軍になった人物が必ずしも将軍にふさわしい能力をそなえていたわけではなく、なか...

 豊臣政権がおこなった兵農分離政策を発展させて、江戸幕府は士農工商という身分制度をつくりました。上から順番に武士・農民・...

 江戸時代の農民の生活は厳しかったイメージが持たれがちですが本当にそうだったのでしょうか?まず農民たちは田植えや稲刈りの...

 17世紀になるとシベリア沿海から中国東北部にいた女真族が力をつけ、1616年ヌルハチを王として後金を建国します。後金は...

朱印船貿易が活発になると、東南アジアの町に多くの日本人が移り住むようになり、各地に日本町がうまれました。フィリピンのディ...

 江戸時代初期ごろは戦国時代の争乱のなかで精神的にも経済的にも不安定な状況におかれていました。これに対し、キリスト教の宣...

 1637年10月から翌年2月にわたって肥前国島原と肥後国天草で大規模なキリシタン一揆である島原・天草一揆がおこりました...

 1639年、幕府はポルトガル船の来航を禁止しました。これで96年間にわたり日本と貿易をつづけてきたポルトガルは、その姿...

幕府の鎖国政策により、貿易港は長崎だけにかぎられました。長崎の窓口は幕府が直接管理するただひとつの貿易の窓口だったのです...

 14世紀、琉球は沖縄本島に中山、山北、山南の3王国がならびたってあらそう、三山時代をむかえました。中国に明が成立すると...

 北の蝦夷地(現在の北海道)では、アイヌの人々が暮らし、独自の文化がさかえていました。1604年、幕府は蝦夷地の支配体制...

戦国時代から江戸時代初期にかけて日本列島では大規模な開発がすすみました。田畑の面積は室町時代中期の1450年ごろに約95...

経済が発達するにつれて農業の分野では米や穀物、野菜などを年貢としておさめたり、自分たちの家で消費するためだけでなく、販売...

 徳川家康から3代将軍家光の時代までつづいた武力によって国を治める「武断政治」は一面では幕府の権力を強める役割をはたしま...

 江戸時代初期は大名が取り潰されて浪人(牢人)が増加していました。その原因のひとつに武家が当主の死の直前に急に養子を決め...

政治の安定と経済の発展を受けて4代将軍家綱のあとをついだ5代綱吉は、文治政治をいっそうおしすすめました。 綱吉の政治は、...

 5代将軍綱吉の死後、1709年に6代将軍に就任した家宣は、さっそく生類憐みの令を廃止します。そして柳沢吉保をしりぞけて...

1716年、7代将軍家継が6歳で亡くなると徳川本家の血統が途絶えました。このため御三家の一つ紀州藩の藩主だった徳川吉宗が...

 徳川吉宗はまず、幕府の収入を増やすために大名が参勤交代で江戸にいる期間をそれまでの1年から半年に縮め、そのかわりに大名...

享保の改革では国家という大きな枠組みのなかで様々な政策が行われました。それまで洪水などの自然災害がおこったり疫病が流行し...

1745年に吉宗が将軍を引退してから1758年に老中の田沼意次の政治がはじまるまでは9代将軍家重の時代でした。この時期、...

 9代将軍家重と10代将軍家治の時期に老中として政治を行ったのが田沼意次です。意次の父は紀州藩の足軽でしたが、紀州藩主だ...

 田沼意次にかわって幕府の政治を主導したのは、陸奥国白河藩主の松平定信でした。定信は徳川将軍家の一族である御三卿のひとつ...

18世紀の田沼意次から松平定信の時代にかけて全国の各藩でも財政のたてなおしと領地の支配体制を強めることを目指し、藩政改革...

 国内で飢饉や一揆が増加していたころに大坂では大塩平八郎の乱がおきました。大塩平八郎は26歳のとき、代々、大塩家がつとめ...

 1841年から43年までの2年あまり、老中首座として天保の改革を推進していたのが水野忠邦です。この改革は享保の改革と寛...

幕府の政治が安定すると社会における人々の役割を説く儒学がひろまりました。とくに身分秩序や礼節を重要と考える朱子学は、社会...

江戸中期ごろから末期にかけては色々と本が出版されました。黄表紙は表紙が黄色で1冊が10ページほどの絵入りの小説でした。代...

19世紀にはいると文化年間と文政年間のふたつの年号をあわせて化政文化といわれる江戸中心の文化が身分や地域を越えて全国各地...

 安房国の菱川師宣は遊女がいる遊里や芝居小屋が並ぶ芝居町の様子を描きました。浮世絵は版画の技法を使うことで安く大量につく...

 医学の分野も江戸時代後期にはめざましい発展がありました。1754年、朝廷に仕える漢方医だった山脇東洋は幕府の許可を得て...

 元禄年間まで学問は孔子や孟子の教えである儒学が中心でしたが、江戸時代中期以降になってくると「万葉集」や「古事記」などの...

シベリアに進出していたロシアは18世紀初めにカムチャッカから千島列島に南下してきました。1741年、アリューシャン列島の...

ロシアとの緊張が続いていた1808年、イギリスの軍艦フェートン号が敵対するオランダ船を捕まえようと長崎港に侵入するという...

幕末、病弱な13代将軍徳川家定の跡継ぎをめぐって二つの勢力が対立していました。その一つ紀州派は、彦根藩主井伊直弼ら譜代大...

 日米修好通商条約で開いた港のうち、神奈川は東海道の重要な宿場で参勤交代の大名も多く利用していました。このため幕府は外国...

大老の井伊直弼は各国と修好通商条約を結ぶことに反対した一橋派や尊皇攘夷思想を持つ人々を弾圧しました。1858年9月幕府は...

 井伊直弼の死後、幕府の政治を主導したのは、老中の下総国関宿藩主久世広周と陸奥国磐城平藩主安藤信正でした。彼らは老中らが...

863年公家の中山忠光を首領とする尊皇攘夷派が大和国の代官所を襲いました。天誅組の乱です。翌年3月には水戸藩の尊皇攘夷派...

 長州藩では1865年1月、高杉晋作ら改革派が保守派に対抗して下関を占領します。藩主の毛利敬親は改革派の意見を受け入れ、...

幕末期の漂流民、中浜万次郎(ジョン万次郎)は、土佐国幡多郡中の浜の漁師の家の次男にうまれました。 1841年、仲間4人と...

1866年12日5日徳川慶喜が15代将軍に就任しましたが、そのわずか20日後には孝明天皇が35歳の若さで急死し、明治天皇...

 土佐藩の身分の低い武士の家に生まれた坂本竜馬は小さいときは気が弱く、よくいじめられて泣いていたようです。18歳のときに...

1867年10月14日、将軍徳川慶喜は朝廷に大政奉還を申し出て翌日認められました。こうして1603年以来続いた江戸幕府は...

 新政府軍は東海道、東山堂、北陸道の3方面から江戸にむかって進撃しました。これに対し徳川慶喜は江戸城をでて上野の寛永寺大...