日本国王任命

明と貿易するようになった日本ですが、両国にとっての問題は倭寇の取り締まりでした。そのころ倭寇と呼ばれる海賊集団が中国沿岸を荒らしまわっており、中国社会では大問題になっていました。倭寇の大半は壱岐や対馬など九州北部の人々と見なされていました。 

 

 

 この倭寇には元々は漁師だったものや武士だったものなど様々で、共通していたのは戦い慣れしているということでした。なかには武芸に秀でているものもおり、彼らが使う倭刀という刀は切れ味も鋭く厚みもあって破壊力にも優れていたため、切り合った中国の軍隊の刀が折れてしまうということが多くあったようです。

 

 

明は九州をおさえることができる実力者を日本国王と認めて外交関係を結び、倭寇対策にあたらせようと考えていたのでした。

 

 

 

 しかし室町幕府にとっては、明との外交関係は貿易や倭寇問題以上の意味を持っていました。明の支援をうけた強力な敵対勢力が国内に登場する危険性があったのです。実際に征西将軍府はそうした政策をとろうとしていました。それは室町幕府にとっては脅威でした。

 

 

 この脅威に対して幕府がとった手段は幕府自身が明と外交関係を結ぶことでした。冊封関係において日本国王とみなされるのは一人だったので、将軍が日本国王に任命されてしまえば幕府の敵対勢力が明と結びつく道を閉ざすことができたのです。

 

 

 この冊封関係は元末の混乱のなかで長江流域で勢力を大きくした洪武帝が1368年に明を建国し元を北方に追い払い中国を統一したころからの風習です。周辺諸国に積極的に外交使節を派遣し、冊封関係を結んだのです。

 

 

 

 足利義満は明に外交使節を送ります。はじめは拒絶されてしまいますが、その後もねばりづよく交渉をつづけました。その一方で九州支配をすすめ、倭寇対策に実績をあげるなど国内の支配体制をかためた結果、1402年に義満はついに明皇帝から「日本国王」に任命されるのに成功しました。

 

 

 朝廷や公家のあいだでは明との外交関係にこだわった義満の評判はあまりよくありませんでした。遣唐使をやめてから外国と関係を結ぶことを嫌っていたうえ、明を上位とする冊封関係は彼らの誇りを傷つけるものであったからです。

 

 

しかし幕府にとってはそれは内乱を終わらせるために必要な政策でした。幕府内の体制を整えたり、南朝を消滅させたりして幕府は内乱につながる要素を一つ一つ摘み取っていき、その仕上げとして明との外交関係をつくりあげたのです。