平家物語成立

 浜口内閣は海軍軍縮条約を、なんとか海軍の穏健派や枢密院を味方につけて条約を批准しました。その翌月、浜口首相は右翼に狙撃されました。重症を負った浜口は、若槻礼次郎に後を託し、まもなく亡くなりました。

 

 

 そのころの政党の思惑がよくあらわれているエピソードがあります。統帥権干犯問題では野党の立憲政友会も軍部に同調していたのです。いくらライバル政党を敵視するのが基本といっても、この問題に関して内閣をたたくことが正解かは疑問です。内閣の立場を低め、逆に軍部の立場を高める主張だからです。いずれ自分たちが政権をとったときに困るとは考えなかったのでしょうか。しかもこのときの政友会総裁は犬養毅です。

 

 

かつて第一次護憲運動で「憲政擁護」をとなえた人物です。

 

 

 

 これでは軍部につけこまれる隙を政党みずからが作ってしまっているのも同然です。後の犬養の最期を考えると縁を感じます。

 

 

 

 こうした自体を招いた原因のひとつは、いわゆる「憲政の常道」が第一党から首相を選ぶものではなかったことです

 

野党が政権をうばうためには必ずしも選挙に勝つ必要はありません。政府の足を引っ張って内閣を退陣させるだけでいいのです。

 

 

 

 時代は少し戻りますが、似たようなできごとが先の田中義一内閣のときにもありました。パリ不戦条約をめぐる問題です。この条約は戦争は違法であると15カ国が合意したものです。積極外交の田中内閣といえでも欧米とは協調を保とうとしたことがよくわかります。ところがこれに立憲民政党が異議をとなえました。条約中の「人民の名において」戦争を放棄するという文言が天皇大権に触れるというのです。

 

 

 

 たしかに宣戦をおこなうのは人民ではなく天皇です。しかし、陸軍出身の田中が意外にも不戦を認めているのに協調外交の立憲民政党がここに異議をとなえるというのは単純に文句を言いたいだけということがよくわかります。結局、政友会も民政党もどちらもお互いの足を引っ張り合うことが第一目標になってしまっているのが露骨ですね。

 

 

 

 こうした政党同士の泥仕合は民衆には醜く映ったことでしょう。しかも金融恐慌以後、政友会は三井、民政党は三菱という具合に政党と財閥の結びつきが強まりました。恐慌下で人々が苦しむのを尻目に政党と財閥が癒着したため国民のあいだには不満が高まっていきました。

 

 ちなみに不戦条約については、批准するにあたって「人民の名において」の部分は日本には適用されないと宣言しました。